こんにちは。管理人のジュニアです。
「身軽に生きるために、ミニマルに暮らすために、それが問題だ」をテーマに日々を送る、3人の子供(みんな男児)を持つ37歳の父親でございます。
今朝長男と次男を保育園に送ろうと玄関を出て、ふと次男を見ると、フツーに、ごく自然に右手にロールパンを持って歩いておりました。
お腹が空いていたのか・・・子供は本当に身軽であります。
さて本日は僕が常日頃意識していることをまた綴らせていただこうと思います。
僕たちの生活は「当たり前」や「思い込み」だらけ
普段僕たちは日常でどれだけのことを「当たり前」だと思って過ごしているでしょう?
- 仕事に行く
- 三食しっかりご飯を食べる
- 夜更かししてはいけない
- 常に笑顔で人と接するべきだ
- 自分には出来ない、やれない
- アレを買わなきゃいけない
- アノ人に嫌われてはいけない
- お金がないと生きていけない、ミジメだ
- いつかマイホームを建てなきゃいけない
- 時間がない
- みんなと違うことをしてはいけない
etc・・・
上記のようなことや、他にも挙げればキリがないくらい、たくさんの「当たり前」や「思い込み」の中で生活しているのではないでしょうか。
僕はこれらの「当たり前」「思い込み」「世間の常識」を疑うようにしています。
「果たして本当にそうなのか?」と。
自分の生活、世間の常識を疑ってみる
よっぽど意識して疑わないと、僕たちの生活は本当にたくさんの当たり前(だと思っていること)に捉われて流れていきます。
当たり前であることで助かることもありますが、「当たり前であるという思い込み」により行動範囲が大いに縛られていることもあります。
果たして本当に・・・
- 労働をしないと収入は得られないのか?
- 毎日三食きっちり食べないといけないのか?
- 夜更かししてはいけないのか?
- いつでも笑顔でいないといけないのか?
- 自分には出来ないのか?やれないのか?
- アレを買わなきゃいけないのか?
- アノ人に嫌われてはいけないのか?
- お金がないと生きていけないのか?ミジメなのか?
- マイホームを建てないといけないのか?賃貸ではダメなのか?
- 時間がないのか?作れないのか?
- みんなと違うことをしてはいけないのか?
etc・・・
上記のように疑ってかかるのです。
意識して疑問視すると、「別の選択肢」が出てくることがあるからです。
疑うことで新しい選択肢が出てくるかもしれない
逆に言えばそのくらい敢えて意識して疑問視しないと、毎日がどんどんルーティン化して、味気ないものになってしまう気がします。
毎日の当たり前に疑問を呈して、新しい選択肢を模索する。
それもまた身軽な生き方だと思うのであります。
皆様は自分の生活のどこを疑ってみますか?
どんな新しい選択肢が出てくるか楽しみですね。
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
多謝多謝。