こんにちは。管理人のジュニアと申します。
「身軽に生きるためには、ミニマルに暮らすためには、それが核だ!」をテーマに日々思案しつつ、3人の男の子と格闘を繰り広げる37歳の父親です。
インフルエンザの注射を打ちに連れて行った長男と次男が、泣かずに接種できたことに成長を感じている今日この頃。
本日も前回に引き続き、僕がモノを減らしていく中で思ったこと、感じたことを綴ってみようと思います。(第2弾)前回はこちらから↓
http://migaruni.com/2016/11/19/post-160/
本当に愛用しているモノは何か?
モノを減らす時にやはり基準にしたのが使用頻度。
当然使用頻度の少ないモノから減らしていくわけですが、この時に結構意外だったのが「愛用しているモノってかなり少ない」という感覚でした。
それは言い方を換えれば・・・
「数少ない限られたモノをヘビーローテーションしている」ということなんです。
僕の場合は、
- ネクタイ
- ボールペン
- 仕事に履いていく靴
- 寝る時に着る服
- 部屋着
- カバン
- ブランケット
- etc・・・
愛すべき陰の立役者たち。
先述した、寝る時に着る服。
僕の場合はサッカー短パンを愛用していたのですが、これはもう本当にヘビーローテーションでして。
10年以上履き込んで最終的にはお尻の部分に穴が開くくらいでした。みっともないのですが、履き心地が抜群過ぎて他の追随を許さないのです。
モノを減らしながらこういった愛用品を再認識するにあたり、「愛用品とは一張羅や高級品のような、特別なモノとは限らない」と気づくことができました。
僕の場合はむしろ、愛用品が特別なモノでないことの方が多かったです。
そしてそんな地味で普通なんだけど、でも他には代えられない「陰の立役者たち」をもっともっと愛でてやらねばと思うようになりました。
使い切った時の達成感、買い替える時の爽快感。
ボールペンのインクを使い切った時って、何だか嬉しくないですか?
僕は「使い切ったゼヨ」という妙な達成感があります。
そして替え芯を入れる爽快感、手入れをしているような、手慣れたような、
「愛用してるゼヨ」という大人感(笑)
アメリカ人がコンバースやヴァンズを履き潰して、「新調すっか」とまた同じスニーカーを買い直す感覚とか、映画の1シーンみたいでシビれます。
道具として使いこなせているモノを残したい。
モノを減らす中で気づいた重要なこと、それは使用頻度に並ぶ基準・・・
「そのモノを使いこなせているかどうか」という感覚でした。
車だって、スマホだって、PCだってそうですが、自分で存分に使いこなせているモノって楽しいし、気持ちがいいですよね。
仕事道具、作業道具、生活用具、etc・・・
そこに余計なストックやバリエーションは必要ないと思うようになりました。
ミニマリストの方々の住まいや、生活が洗練されて見える理由は、この実用美が内包されているからかもしれませんね。
「気がついたらこればっか使ってる!」というモノに愛を!
本日も最後までお読み頂きありがとうございました。